​■コメント/レビュー

 我妻和樹監督『願いと揺らぎ』は、震災時にそこに居合わせてしまった若い作り手自身の想いを率直に吐露する側面を持ちつつも、それが丹念な民俗学的観察のまなざしと溶け合うことで稀有な傑作となった。本作を通して私たちは、「絆」と呼ばれたものが具体的に何だったのかを教えられるだろう。震災から6年後の決定的な成果ではないだろうか。

  ー三浦哲哉(映画評論家)

*山形国際ドキュメンタリー映画祭

 公式ガイドブック「SPUTNIK」より

http://www.yidff-live.info/1462/

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 私がこの映画に最も引き込まれたのは、監督の「撮影する対象」との向き合い方である。震災が起きた後に、「世間に認められる震災ドキュメンタリー映画を撮ってやろう」という野心に燃えて現場へ入り、言葉巧みに「誠実さ」や「情熱」を装って被災者に接近し、にわか作りの「人間関係」をこしらえ、相手の都合や迷惑に気を配ることもせず強引にカメラを回し、何か撮った気になっている「ドキュメンタリー映画監督」とは全く対極にある、“本物のドキュメンタリスト”の姿だった。

  ー土井敏邦(映画監督)

*土井敏邦WEBコラム「日々の雑感」362より

http://doi-toshikuni.net/j/column/20171008.html

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 我妻和樹監督の前作『波伝谷に生きる人びと』は、『南三陸に生きる人びと』と言い換えても不思議ではないくらい、山・海・地域とともに生きる我々南三陸町民の震災前の暮らしを生き生きと記録したものだった。そしてその続編となる『願いと揺らぎ』は、被災という現実の中で迷い、もがきながら、それでも元々の暮らしを取り戻そうと力強く前に踏み出す町民の姿が描かれている。

 この映画を観て、我々南三陸町民に限らず、被災した方々の多くがこれまでの復興の苦難の道のりを思い起こさずにはいられないだろう。そして後世の人びとにとっては、繰り返し津波の被害を受けてきた地域の歴史を伝える貴重な記録となるだろう。是非とも被災地に関わりを持った全ての人に観ていただきたい。

  ー佐藤仁(南三陸町長)

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 その地域の祭りが活気に満ち溢れて催されているなら、その地域の共同体は活き活きと機能している証である。祭りとは地域共同体のソウル=魂そのものだからだ。

 時代の荒波と、そして地震と津波によって破壊された波伝谷の人たちは、そのことをよく知っているが故に懸命に祭りを復活させんと苦悩し、奮闘する。若い我妻監督も、描くべき主題は、まさにこれしかないのだと確信を持っている潔さがヒシヒシと伝わってくる力作だ。

 平成の今、醜悪な権力者たちがこのニッポン国の民主主義を破壊せんとしている危機的な状況の中で、平和で幸福感に満ちた共同体を望む全ての人たちに贈るエールとしてこの映画は生まれたのだ。

  ー原一男(映画監督)

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 震災前から三陸の漁村の暮らしとそこに伝わる民俗芸能を記録し続けてきた監督が、自らも津波に遭遇した後に写し出した光景は、海とともに生きるひとびとのほんとうの生き様だった。何度倒れても再生する蘖(ひこばえ)のように、数をも知れない涙とともに、それでも生きようとするひとびとの姿が尊く愛おしい。そしていつも側には海があった。

  ー山内明美(社会学者/大正大学准教授)

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 前作の下地があってこそだと思うが、被写体との距離を縮めたからこそ撮れたリアルなシーンが随所にあってとても見応えがあった。

 人も社会も多面的で矛盾をはらみつつ繋がっている。震災からの復興の過程にそうした社会の本質を重ねたところに本作の奥行きを感じる。キャメラが捉えた生々しささえ感じられるシーンは、揺らぎより共感を優先するテレビでは容易く描けない。震災をテーマにした数多くの作品群にあって、重量級の存在感を放つ作品である。

  ー小原啓(テレビディレクター)

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 村が揺れる-これはドキュメンタリー映画史にその名を刻む小川紳介監督の『三里塚 辺田部落』について語られた言葉だと記憶している。我妻和樹監督の『願いと揺らぎ』は、タイトルに“揺らぎ”とあるからだけではなく、2012年に撮影されたシーンをモノクロにしたこととも相まって、まさにこの『三里塚 辺田部落』を想起させた。

 辺田部落は、国家権力の暴力によって村が揺れるが、『願いと揺らぎ』の舞台である波伝谷部落の人びとは、そうした目に見える大きな力と抗争しているわけではもちろんない。東日本大震災によって、文字通り地面と海が揺れたわけだが、本作はその被害を描くことだけに留まらない。

 村の青年が中心となって、震災から1年後、地域の伝統行事である「お獅子さま」を復活させる機運が高まるが、様々な紆余曲折が起きる。その過程で、村人たちの気持ちも揺れていく。そして前作『波伝谷に生きる人びと』もそうだったが、我妻監督は、この村の中に生じたわずかな亀裂にまでキャメラを向けていく。こうしたことは、一歩間違えば村の亀裂をさらに広げる可能性もあり、実際、本作の中でも我妻監督が苦悩している様子も伺える。

 それでもこの映画が当事者たちに好意的に受け止められたのは、我妻監督が波伝谷の人たちの「願いと揺らぎ」をしっかり描き切ったからであろう。タイトルはあまりに地味で人目を引くものではないかもしれないが、こうした地味な作品こそ、今、見られるべき作品だと強く思う。

  ー本田孝義(映画監督)

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 あの日、2011年3月11日、日本人それぞれが、どの場所にいてどう行動したかを、いかほどの歳月がたったとしても忘れることはないでしょう。それでもこうしてドキュメントとしてフィルムに残されているということは、まだその日に生まれていなかった人々にとって貴重な記録となるはずです。

 鮮やかな震災前の映像、震災後のモノクロの映像、そして最後に再び鮮やかな現在。「お獅子さま」という「絆」で結ばれている「故郷を持つ人びと」……。

 故郷を持たない人間にとっては、内心の葛藤や矛盾があったとしても正直羨ましいです。物語の中に逃避し現実と創造の境目さえ曖昧な私のような人間は、現実と現実の人びとと向き合い続ける我妻監督の芯の強さに畏敬の念を抱きます。

 あの地に忽然と現れた観音像……。ただただ美しい……。泣くほどに。

  ー水樹和佳子(フラワーデザイナー/漫画『イティハーサ』作者)

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 この映画は震災の記録である以上に、人間の根源を描いている。「地域社会とは何か?」「共に生きるとは何か?」…。とりわけ、三陸の人々が見せる柔和さと裏の本音。そんな独特な二面性も含めて、民俗学の視点から、人々の心を正確に描き出した。
 コミュニティが失われた、現代ニッポンの都市生活者や物質文明への静かな問いかけ。目に見えない「こころ」のつながりを可視化できるまで撮り続けた、我妻監督の誠実さは、並大抵ではない。

  ー榛葉健(ドキュメンタリー映画監督)

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 時に面倒な人と人とのつながりが人を救い、生きがいにもなるという普遍性が被災した波伝谷でむき出しになっていて、それが観る人の心に響くのであろう。「共生」ってこういうことか、と。それもこれも12年間、悩みながらも撮り続けてきた我妻監督だからこそ描けたことだと思う。

 被災地で共有できるモノ(映像、遺構)が残っている事例はごくわずか。使命、天命と表現すると重過ぎる気もするが、そんな言葉を贈りたい。

  ー村上俊(河北新報社)

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 被災地での民俗行事の再開という事象に、地域の文化が復興の力、きっかけになんとかなってほしいと思っていた僕は、この映画を観て「やった!」と思った。本当に、僕は無邪気に喜んでいた。そして、民博の企画展「記憶をつなぐ―津波災害と文化遺産」で、この映画の舞台である波伝谷を復興のシンボルとして紹介しようとして、当時の講長さんにお願いに上がり、快く対応していただいたときのことを思い出した。それはまさに映画の佳境の時期と重なっている。

 映画では、このときの波伝谷の皆さんのさまざまな願いと揺らぐ気持ちが見事に捉えられていた。我妻監督が、いろいろ葛藤しながらお手伝いをした場面は、他者が支援をすること、他者が当事者のところに入ったときの立ち振る舞いの難しさがよく表れていた。そして、我妻監督のあの迷いは、波伝谷の、特に若い世代の迷いを表現していたのではないかと思う。この当事者と他者の関係性のあり方から、フィールドワークに永遠につきまとう「他者とは何か?」との問いに思い至らせられた。

 ひとつの成功事例は、そのまま美しい過程を経て、達成できたものと思われがちである。しかしこの映画は、ひとつのきれいな結末が、とんでもなく多くの摩擦や障害を乗り越えて成り立つものだという真実(おそらくはこのパターンのほうが多いのであろう)を、本当に丁寧に描いていると思った。僕らの研究分野にいる若手の研究者にも是非観てほしい、そう思える映画だった。

 我妻くん、素晴らしい映画をありがとう。

  ー日高真吾(保存科学者/国立民族学博物館准教授)

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 前作『波伝谷に生きる人びと』は、我妻監督が波伝谷の人びとから信頼を獲得していく過程で撮影された作品だった。だが『願いとゆらぎ』は、監督が人びとからの信頼を見事に確立し、あたかもそこに暮らす者としてふるまうことが求められるほど、濃いつながりの上で撮影・編集された作品である。故に、レンズを向けられた人は驚くほど有り体に本音を語り、感情を隠すことなくキャメラに刻む。

 それは、一般的に語られる被災地の復興像とは全く異なる、あるいは語りづらかった復興当事者の真に秘めたる思いと、それに至る経験を観客が共有することに他ならない。特に、浜社会のこうした変化を知ることもなく、助成やボランティアの投入、支援者本位による支援体制の強化を競うような外部支援が、どれだけ現地の復興を築き上げる上で上滑りに終わっているのか、スクリーンからの反射的な投影として見せつけられる。

 東日本大震災から6年。この時期に本作が被災地の苦悩と希望を丸抱えして公開されることは、風化を防ぐとか、防災意識を高めるとかのお題目以前に、災害の素顔を当事者の顔と声から観客が改めて心に刻み込む経験を提供するだろう。故に前作同様、文字通り、この国の津々浦々に『願いとゆらぎ』が届くことを祈りたい。

  ー工藤寛之(まちかど公共研究所/『波伝谷に生きる人びと』元上映実行委員)

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 映画『波伝谷に生きる人びと』の続編『願いと揺らぎ』は、宮城県北部南三陸町の小さな漁村の人々が、震災後の仮設住宅で集落も生業もバラバラの生活を余儀なく受け入れざるを得ない中、生きるために様々な矛盾を抱えながら「お獅子さま」の祭りを再開することで強い絆を取り戻す姿を描いている。「死に直面して、なお生きる」その葛藤と喜びが白黒のスクリーンから伝わってくる。縄文時代以前から連綿と続く人々の「生きること」の意味を、私たち絆を無くした「都市流民」に強く問い掛ける。

  ー松本照久(映画協力者)